少額訴訟への道のり

第0章:話の発端

<平成14年5月中旬>

夕方か夜だったかは覚えていませんが、仕事をしていたら専門学校時代の友人から
『パソコンのネットワークの仕事になるかもしれないから、指定の電話番号へ電話をかけてくれ』
と、いう内容の電話が入りました。

この不景気なご時世、どんな仕事もあればありがたいですから、早速 A社のA氏 へ電話をかけて見ることにしました。

すると仕事の内容としは
『2つの別会社が1つのオフィスに引っ越すのに伴い、2つのパソコンネットワークを 1つのネットワークとして再構築して欲しい』
というものでしたが、A氏はおろか引っ越してくる会社の B氏 ともにパソコンに関して疎く、今ひとつ詳しい全貌が分りませんでした。

しかし電話口での様子を聞く限り、引っ越してくるどちらの会社にもパソコンのわかる人が誰もいないので 非常に困っているらしいいのです。
困っている人から相談を受けて放って置くわけにもいきませんから、取り合えず引越しが済んだ時点で 下見に行く約束をしたのです。


平成14年5月20日(月曜日)
『引越しが済んだ』という連絡が入らないまま時間だけが過ぎました。
その頃は仕事が立て込んでいて、外出し難い時期だった事もあり、 その日は偶々(たまたま)納品の為に近所まで行く用事があったので、 現地視察をするつもりでいました。

しかし、”後楽園の近く”という事しか聞いていなかったので場所を問い合わせる必要があったのですが、 なかなかA氏と連絡が取れません。
A氏の携帯電話へ電話をかけるのですが留守番モードになっていて”無しのつぶて”なのです。

暫くしてようやく電話が掛かってきたものの『今銀行にいるので、用事が済んだらこちらから 電話をします』と言われたまま、いつまで経っても連絡が入りません。

お昼ごはんをユックリと食べて、コーヒーを飲んでボケ〜っとした後、秋葉原をブラブラしていたのですが 2時になっても3時になっても電話は鳴りません。
『今日はもう駄目かな・・・』と、諦めかけたこ頃ようやくA氏から電話が入り、場所を聞きだすことが出来ました。

ところが聞きなれない横文字なのか、会社名は何度聞き返してもイマイチ聞き取れません。
仕方が無いので住所とビルの名前を頼りに会社を訪ねる事にしました。


慌てて電車に乗り、後楽園ドームも近い駅を降りると、目当てのオフィスビルも駅から目と鼻の先でした。
早速、先ほど聞き取れなかった会社名を入り口にあるプレートを見てメモしたのですが、 C社の社名の意味は何度反芻しても、私には分りませんでした。
(後に字引を引いたところ『生れ変り治療』のような意味だと知りました。)

それでも電話で聞いた会社であるのは間違いないので指定階まで上がってゆくと、引越しの完全に済んでいないオフィスの中にいたのはB氏だけで、A氏はいませんでした。
(A氏は後ほど遅れて登場・・・)

B氏は恐らく50歳半ばだと思われましたが、気さくな語り口で、小柄ながらガッシリとした体格でバイタリティにあふれたギラギラした印象を持ちました。
(悪く言えばヤッちゃん風・・・)
雑談をしながら具体的な組立方法と内容及び希望を聞いたのですが、なにしろパソコンの知識が無い 人なので、元のオフィスでのPCの構成や機材の利用方法もサッパリわかりません。
オマケにもう一方の会社の担当者もいないので不安が重なり、仕事を断ろうと思ったくらいです。

暫くしてB氏が息子のD氏へ電話をかけてくれました。
前のオフィスのネットワークを組んだのはD氏であり、大手ネットワーク会社のエンジニアだった らしいので話はあっという間に付きました。

『要するにDHCPサーバー機能を持つルーターがあるので、これに別のネットワークハブをかませながら マシンをつないでゆけば、簡単に終わりそう』 という結論を出したのです。

しかし、ネットワークの配線はパソコンの配置が決らないと出来ません。
そこで、配置が確定したら時点で作業日程を決める必要もあり、程なくして現れたA氏とは 名刺を交換をした後、取りあえず見積書を出してから決めると言う事になりました。

会社へ戻った私は雑用を済ませてからA氏へ見積書をFAXしたのですが、金額を提示する位にしか思っていなかった為、 後々まで遺恨を残す元になってしまいました。


『少額訴訟への道のり』インデックスへ戻る